システム思考
2006年度

システム思考



第0週 はじめに


システム思考ってなんじゃらほい?
あなたがそう思うのも無理は無い。
この授業をやってくれないか、と頼まれたとき同じ質問を元コース長にしたものだ。
答えを先に言ってしまえば、「考える方法」のことである。

あなたが駅から家までの道順を他人に説明するとき、言葉ではなかなか伝わらない場合もあるだろう。
相手が地元の人でなければなおさらのことだ。
そんなとき地図が一枚あるだけですんでしまう。
地図は土地そのものではなくてそれを紙のうえにインクのしみとして投影したものだ。
それが相手を瞬時に納得させるとしたら、地図で考えることは有効である。
もし、あなたが電話で言葉だけでそれを説明する場合でも、地図が手元にあればその説明は要を得たものになるだろう。

してみると「考える方法」のひとつは図のことである。
ここでは、「考える方法」を言葉、文字、記号、図を道具として紹介する。
「考える方法」はそのままコミュニケーションを意味している。
それもそのはず、考えることって他者がいてはじめて可能になるからだ。
もしあなたが地球上で一人だけの存在だったら考えるだろうか?
思うことはあるかもしれないがあまり考えなくなることだろう。
そもそもシステムとは
system = sy + stem
syはラテン語の「共に」であり、stemはstandつまり「立つ」である。
共に立つための基盤がsystemである。

ついでにいえば、思考とは思い考えること。
思=田+心。
田は頭の頭蓋骨、心はハートで精神活動のこと。
考=老+て。
「て」はゴールまでいってもなお進んでまがっている字形。老は知恵。
思ったり考えたりすること。


第1週 言葉と図と記号


「りんご」という文字は記号だと思うこともできる。
りんごの絵をかけばそれは図になる。
かくして言葉と図と記号は関係をもつ。

もっと思考の道具としてこの関係をつきつめてみよう。
「りんご」とは記号であるばかりでなく、意味もある。
果物で食べると甘酸っぱい。
しかし、みかんとは区別される。
りんごの意味はなにか?
ひとつには世の中のりんごを一同に集めて「これがりんごだ」と言えばわかりやすい。
そうだとすると、「りんご」とは「りんご」の集合(集まり)のことである。

たとえば、1以上5以下の整数というものを説明するよりも書いてしまったほうが早い。
{1,2,3,4,5}
これを記号でSとすると、s={1,2,3,4,5}とあらわせる。
さらにこれを図であらわすと、


以上をまとめると、「1以上5以下の整数」という文字(言葉)とsという記号と上の図が対応している。
すべての名詞は言葉であり、記号でかける、また上のように集合として図であらわせる。
「オビワンケノービ」という固有名詞さえもである。

では、名詞句を主語として述語をつけてみよう。
「オビワンケノービはジェダイの騎士である」
o=「オビワンケノービ」が主語で、「ジェダイの騎士である」が述語である。
(慣例により主語が小文字で述語が大文字とする)
ここで問題としたいのは、「オビワンケノービはジェダイの騎士である」の「は」である。
「は」によってこの文はなにを言おうとしているのだろうか。
これも集合の図によって明らかにしたい。J=「ジェダイの騎士」とすると


図からも明らかなように、オビワンケノービはジェダイの騎士の集まりの一員なのである。
これを「要素oは集合Jに属する」と言い換えることができる。
あるいは記号によって、
o∈J
とあらすことにしよう。またしても言葉と記号と図が対応したことになる。
もちろんo∈JをさらにAという記号で代表してもさしつかえない。

「オビワンケノービはジェダイの騎士である」はご存知のように本当のことである。
もし「オビワンケノービは浜松出身である」(H=「浜松出身者」の集合とするとo∈H)といえば嘘である。
このように文になると真であったり偽であったりする。
コンピュータはこれを1と0とで区別する。

文をもっと複雑にしていくこともできる。
o∈Jかつo∈H
すなわち、「オビワンケノービはジェダイの騎士であり」かつ「オビワンケノービは浜松出身である」。
こんな文もありえる。
すると図は下のようになる。


以上のように文は図や記号によって見通しがよくなる。


第2週 小テスト


次の文を適当に記号化し、それに対応する図示せよ。

1)梅干はおいしい。
2)おいしいものは食べたいものだ。
3) 梅干は食べたいものだ。
4)1かつ2

図について答えよ

A=「これはりんごである」という文は、P=「これは果物である」という文の適用範囲の中にある。 こんなとき人は、「これはりんごである『ならば』これは果物である」というだろう。 逆に言えば『AならばP』という文はこの図のようになっていて、それに相当する集合もAとPで表せばA⊂Pが対応する。 『ならば』は→であらわされるのでA→PはA⊂Pのことであると言える。 「りんごは果物である」との違いは集合的にはりんごは要素で果物が集合だったのでa∈Fだが、「これはりんごである『ならば』これは果物である」は『ならば』の前後の主張が両方とも集合となっているところ。 「これはりんごである」は、その文が適用される範囲、集合だと考える。 机にむかって「これはりんごである」とはいえないのでそれは集合からはずされる。 結局りんごの集合と内容は同じになっているが作り方が異なっている。
ま、しかし、「これはりんごである」は嘘だっていうこともありえるなぁ。。。

第3週 図(または記号)から文へ

「これはりんごである」という文は「これは」「りんごで」「ある」ので、
これ∈りんご
と考えて良い。だから「これは果物である」とふつうは結論づけられる。 その背景には「りんごならば果物である」という暗黙の了解が隠されている。

「りんごならば果物である」から
りんご⊂果物
となる。この暗黙の了解もしっかりと書くことでより明らかになる。 集合では∈と⊂の違いは、左が要素か集合の違いだけである。(大差ない) つまり、
これ∈りんご⊂果物
という三段階の包含関係になっていることが重要だ。「これはりんごである」且つ「りんごならば果物である」は次のようにあらわされる。
これ∈りんご ∧ りんご⊂果物
この図を書くと明らかに、「これは果物である」が導かれるだろう。以上の論理を
これ∈りんご ∧ りんご⊂果物 → これ∈果物
とあらわすことができる。 三段階で結論が導かれるので三段論法とよばれることもある。
これ∈りんご ∧ りんご⊂果物 → これ∈果物

 これ∈りんご
 りんご⊂果物
----------------------
 これ∈果物

とあらわしてみよう。∧は省略され、→が-----------になっている。 こうすると、推論形式が明らかになる。 上の二つの命題から下の命題が結論づけられたことになる。 この形式は重要なのでもう一度記号によって復習しよう。


 a∈A
 A⊂B
--------------
 a∈B

図と記号を比べてみると一目でこの論理の妥当性がわかるだろう。

問:次の論理を記号と図であらわしてみよう。

あんな女にひっかかる男はバカだ。
お前はその女にひっかかった。
--------------------------------
お前はバカだ。


第4週 文章にひそむ記号を見つける

まずは次の文を読んでみてちょ。

ドラエモンはタラちゃんに追いつけるか?

 ドラエモンの前にタラちゃんが同じ方向に歩いている。 ドラちゃんは4km/hでタラちゃんは2km/hの速さで歩く。

 さて、ドラエモンが現在のタラちゃんの位置に到着するまでにタラちゃんはその時間に進んでいる。 そして次にそのタラちゃんの位置にドラエモンが行くまでにまたもやタラちゃんは少し進んでいるのだ。 そして次に・・・。この状況はいつまでたっても変わらない。 無限に繰り返されることになる。

 無限に繰り返されることには終わりが無い。 終わりが無いということは無限の時間がかかる。 無限に繰り返されることは無限の時間がかかるのである。

 したがって、ドラエモンはタラちゃんに追いつくことは無限の時間ががかることになる。 つまりドラエモンはタラちゃんに追いつけないのである。 少しずつ穴を掘って行きさえすればやがて地球の裏側に出られるが、ドラエモンはタラちゃんよりもいくら速くても追いつけないのである。 それはドラエモンが無限の行為を繰り返すからである。

起>問いを立てる。
タイトルと文で問いの設定をする

承> a∈A の形の主張をする。



転> A⊂B の形の主張をする。

結> 承と転の主張から結論であるa∈Bの結論を導くことができる。


この文章の論旨は次の記号によって表される。

 ドラエモンがタラちゃんを追いかける∈無限回の繰り返しの行為
 無限回の繰り返しの行為⊂無限の所要時間
--------------------------------------------------------------
 ドラエモンがタラちゃんを追いかける∈無限の所要時間

そのために起承転結の段落(パラグラフ)によって分割され、その主張が明らかにされている。 それ以外にも話をわかりやすくするために比喩や説明を加えていくとさらに文章は長くなる。 いくら長くなっても上記の論旨が三段論法の推論になっていることには変わりは無い。 三段論法は強い論理によって支えられているので、仮定である「承」と「転」を認める限り覆されることは無い。 逆に言えばそれらを覆せば文章の全主張は不成立となる。

さて、このように論旨がしっかりとした文はなかなか手強い。 逆に記号をはじめにつくっておいて、起承転結に文を構成すればしっかりとした文章をつくることができる。 論理的な文章となるので論文となりえる。 論文としてしあげるにはさらにいくつかの体裁を整える必要がある。 ところで上記の文章はどこかがおかしい。 現実にドラエモンはタラちゃんに追いつけるではないか。 この文章はギリシア時代のパラドクスとよばれる矛盾話を作り変えたものだ。 実は未だこの文章のなにがおかしいのか決着がついていないところがある。

第4週 記号から文章をつくる

記号から文章をつくるのは、遺伝子から人体をつくってしまうようなもので、もしそれができたらレポート、小論文などが楽に作成できることだろう。 作戦としてはこうだ。 三段論法を記号であらわし、それを文に翻訳し、さらに文章に展開する。ではやってみよう。

step1
 学生∈学費を支払う人
 学費を支払う人⊂得るものがある人
------------------------------
 学生∈得るものがある人

step2
上記の三段論法を翻訳すると、次のようになる。
「学生は学費を払う人である。学費を払う人ならば得るものがある人である。ゆえに学生は得るものがある人である。」

step3
上記の三文によって文章に展開する。 そのためには前週でやった起承転結を使えばよい。 三つの文はそれぞれ三つの段落になり、その上に「起」にあたる問立てをつければよい。 「起」にあたる問いとは、結論の「学生は得るものがある人である」を答えとするような問いだから「学生は得るものがある人か?」という問いにすればよい。 これはちょっとわかりにくいので「大学で学生は得るものがあるか?」というタイトルにすることにしよう。そのあとに「起」としてこの問いの背景というか説明をする。たとえばこうなる。

  大学で学生は得るものがあるか?
起:最近大学生が勉強しなくなったという声が聞かれる。 以前のように一部のエリートだけが大学に行く時代と違って大学は大衆化された。 すると勉強の意欲がない者まで大学に入学するようになった。 当然、彼らは入学後も勉強をしない。 すると当然、彼らは「大学でなにか得るものがあるのだろうか?」という疑問がわいてくる。

次に「承」として「学生∈学費を支払う人」を書くことにしよう。 普通は「承」は「起」のつづきをかくのだが、気にしない気にしない。ぜんぜん話が変わってもいい。「転」の「学費を支払う人⊂得るものがある人」と「結」の「学生∈得るものがる人」も同様に続く。

承:学生は高い授業料を払っている。 年間に通常80万円ぐらいは支払うだろう。 理系となるとさらに高額になる。 おまけに通学費や下宿やアパート代を払うとかなりの額になる。 教科書代も馬鹿にならない。 おそらくほとんどの学生は親に払ってもらっている。

転:ところでお金を払うということはそれだけで得るものがあるのだ。 塾や予備校では多くの児童、生徒たちが高い授業料を払って勉強にいそしんでいる。 いや児童、生徒ばかりではない。 カルチャースクールに通う大人たちも授業料を払って熱心に学ぶ。 生徒は授業料にみあっただけのものを得ようとまじめに学ぶ。 教員も授業料をとっているから真剣になる。 したがって、学費を払う人ならば得るものがあるのである。

結:大学生は学費を払っている。そして学費を払う人は得るものがある。このことから言えることは大学生は得るものがある、ということだ。 多大な学費は大学の校舎や教職員の給料になり学生への教育という目的のために還元されている。 毎年たくさんの知識や知恵を得た若者が大学から卒業していっている。

上記の文章の真偽はさておき、論理のしっかりした文章がつくられている。 それはその骨格にあたる推論がそれ以前に設定されているからである。 三段論法の上の二文を認めたら結論を認めざるをえない。

ところで、推論を次のようにすると、まったく逆の結論の文章を構成することができる。


 学生∈他者に学費を払ってもらっている人
 他者に学費を払ってもらっている人⊂得るものがない人
--------------------------------------------------------------
 学生∈得るものがない人

つまり、仮定がかわれば当然結論も変わってくるということだ。 よくテレビで評論家が激論を交わしているがその大半は推論は正しい。 (少なからず推論までおかしい人もいるが) 彼らの結論が異なるのは仮定が異なるからだ。論理的に正しくとも結論が使えるかどうかは別なのだ。 初期の『スタートレック』でスポックが船長になれないのそういう理由もあった、かどうかは知らない。。。

問:得るものが無いという結論で文章を書いてみよう。


第5週 弁護士が嘘を言うとき

例によって、次の記号を文にしてみよう。ある裁判で弁護士が次のような弁明をした。


 (P)依頼人∈(当日は)巨人戦の観客
 (Q)巨人戦の観客⊂犯行できない人
--------------------------------------------------
 (R)依頼人∈犯行できない人

翻訳すると、「依頼人は事件当日巨人戦を観戦していた。それを観戦する人はアリバイがあって犯行できない。だから依頼人は犯行できない。」(翻訳1としよう)ということになる。 さらに記号では、P∧Q→R と表してもよい。「PかつQ ならば R」 であるというわけ。

ところで、P∧QはPもQも両方そろって満足されているときを想定している。 つまりPもQも真のときだけ真である。 これに対してP∨QはPまたはQのどちらか一方がすくなくとも満足されていればいい。 つまりPかQの両方もしくはどちらか一方が真ならいい。

これをちょっとかえて次のように翻訳することもできる。 P →R の理由が Q と理解する。つまり「PならばR。なぜならばQだから。」
翻訳すると、「依頼人は当日巨人戦を観ているならば、犯行できない。なぜなら巨人戦を観ている人には犯行ができないからだ。」(翻訳2としよう)である。 翻訳1でも翻訳2でもOKである。

上記の弁護士の弁明は間違いではないことは、図にするまでもなく明らかだろう。 さて、翻訳2を考えてみよう。翻訳2では、
  P → R
である。その理由(根拠)としてQが挙がっている。 弁護士のこの主張は覆されない。 Pが本当(真)ならばRは保証される。 Pが真でRが偽の場合にのみ弁護士の主張は間違っているのだから、弁護士のこの主張は裁判官には受け入れられるだろう。 もし、依頼人が嘘をついていて依頼人が巨人戦を観戦していなかったら、どうだろう。 当然、Pは偽である。Pが偽でRが真だったら、つまり依頼人が嘘をついていて犯人ではないこともありえる。(推理小説ではよくある)  しかし、弁護士は嘘をついていないことに変わりはない。弁護士はあくまでPが真である場合のことを想定しているのだから、それが偽だったら責任は弁護士にはない。 そうなるとRが真だろうが偽だろうが弁護士の主張はは正しいだろう。 弁護士が責任を負うのはPが真でRが偽だった場合のみである。 弁護士はあくまでP→Rという論理の正しさだけが問われるのである。
P → R (依頼人が巨人戦を観ていたならば犯行できない)という弁護士の主張は面白いことにPが偽だったらRは真だろうが偽だろうが正しいのである。 表にしておくとみやすいだろう。

P→R
PRP→R

PとかRという個々の真偽とそれらをつかった式P→Rの真偽は異なることを勉強した。

問:P∧QやP∨Qの表もそれぞれつくってみよう。